オタクにしか理解できないオタク文化など、実は存在しない

まきがい:ああ、確かにアニメ見たことないひとが「あんなものの良さなんてさっぱりわからない」って言ったら普通に受け入れられそう。おかしいよね。

海燕:そうそう、おかしいんですよ。わからないに決まっている。やっていないんだから。それがなぜか「萌えは一般人にはわからないよね」みたいな話になっちゃうわけで。

 でも、じっさいに作品を見てもいない、やってもいない人間が「わかんね」といっても、それは当然だろう、としか思えないよね。

 そして、ここらへん、「オタク」側にも、わかるはずがない、わかってたまるか、という心理が働いているんじゃないでしょうか。


――オタク論と日本人論は似ている。

せっかく僕の発言も取り上げられていることだし反応してみよう。上で引用してるのは昨日の海燕チャットの発言です。あそこの公開されている過去ログは読みやすいので、興味のある人は見てみましょう。


この話をした後、僕もいつの間にかニュートラルな視点に欠けて若干偏った見方になっちゃってたなあ、とちょっと反省しました。らき☆すた見たりネット巡回してると、「オタク趣味はオタクにしか分からない」というようなことがあまりにも当たり前のように言われているので、僕もつい思いこんでた部分があった。よくよく考えてみれば、んなこたー、ないのです。


実際、アニメを全く見ていない人やエロゲを全くやったことがない人、または1〜2個程度かじっただけの人が「あんなものをやる人の気持ちがさっぱりわからない」と言うのなら、「そんなものやってもいないのに分かるわけないだろう」と反応するのがどう考えても正しい。でもオタク側の反応はしばしばそういうふうにはならないんだよね。「当然だ、萌えはオタクにしか分からない」とか言ったりする。
確かに、『らき☆すた』とかジャンルのお約束が分かっててはじめて楽しめるようなものも多いのでそう言ってしまう心理はわからないでもないんだけど、そうじゃないんですよね。単に知らないだけなんですよ。
ある程度アニメやゲームをやってお約束が理解できるようになってたら『らき☆すた』の内容だって誰にでも理解できるし、けして「オタク」という特別な人種や「萌え」という説明不能な感情が実際に存在するわけではない。


ここらへん海燕さんも書いているとおり、「自分はオタクなのだ」ということがアイデンティティになっている人の存在が無関係ではないでしょう。特別な「オタク」という人種にしか理解できないものがある、と信じたい人がけっこういるんですね。
しかし、事実は事実。実際にはそんな特別なものなどありはしない。全く知らずに分からないと言ってる人と、知った上で理解不能であると言ってる人への対応は当然切り分けられるべきで、両方に定型フォーマットな「それはオタクにしか分からない」的なことを言っているだけでは、狭い範囲に閉じていくだけです。


そんなことは分かっている上で「そちらのほうが平和なんだから、狭い範囲に閉じられているべきだ」という態度の人もいると思うし、僕はそういう態度を非難する気にはなれません。無駄に目立って、周りからの不理解に晒されるのが嫌だという気持ちは理解できる。いちいち説明したり誤解を解いたりする努力をするくらいなら、スルーして何事もなく済むほうがいいじゃないか。お説ごもっとも。
しかしですね、もうそういう態度が通用する時代ではない気がするんですよ。秋葉原が何度もTVに取り上げられるように、MADがアングラ→ニコニコになったように、自分の趣味に全く後ろめたさを感じない層がだんだん主流になってきているように。オタクは拡散の一途を辿り、この流れが逆転することはたぶん無い。
そして、僕はこの流れは健全なものだと思う。偏見を通り抜け、当たり前の趣味として受け入れられる時代へ。


ちょうど僕くらいの年齢(25〜30あたり)で境界線があって、それよりも下は余計な鬱屈とか後ろめたさとかをそもそも感じないような世代へ移り変わってきているんじゃないでしょうか。僕らみたいな両方の価値観を理解できる境界の世代が、上下の架け橋になれれば良いですね。