弱音ハク

最近、楽しんでアウトプットすることが、出来なくなりつつある。


最初は、ただ伝えたいだけだった。自分の好きなものが他人に広がるのは嬉しい。それが自分の影響ならなお嬉しい。
それを実現するための方法は、出来うる限り公共性を高めることだった。自分が「書きたい」ものよりも「読みたい」ものを書く。より広くへ! より読みやすく! 「人のため」に限界まで寄せていく。けどそれは本当は人のためなんかじゃない。効率がいいからやってるだけだ。
何の飛び抜けた才能も個性も持ち合わせていない僕が思いつく方法なんか、それくらいしか無かった。


ただ、この方法には欠陥がある。限界を超えて寄せてしまうと、楽しくなくなってしまうのだ。
その境界を、見極めねばならない。人の要求を無制限にかなえることはできない。僕はアンタたちのためにやってるんじゃない、自分のためにやってるんだ。アンタの嗜好と僕の嗜好が重ならないなら、そんなもののことは知ったことか。
その前提の上で、限界まで譲歩すれば僕も楽しい、他人も楽しい。いいことずくめ。最初は譲歩したつもりが、いつの間にか心の底から楽しめるようになったりもすることもある。ああ、ブログはなんと素晴らしいのだろう。ちゃんと見極めさえすればいい。でも、


ちょっと、疲れた。

追記:コメント返信

いやいや、「趣向」の譲歩はしとらんですぜ。そこまでいくと完全に本末転倒だ。
僕は人に影響されやすいし目指してきた方向性も書いたとおりなので、むしろ譲歩せずに貫き通すことが負担なのれす。自分の好きを貫くことは、他人の好きを否定することに繋がる。そんなつもりはなくても声が大きいとそう受け取る人は否応なく出てくる。
まあそんなのどうしようもないことだけど。趣向なんて十人十色だからなあ。


というか、他人を意識してブログ書くのって基本的にはとても楽しいことですよ。色々工夫して、結果を見るのは楽しい。失敗したら次に生かせばいい。何かしら目的が無いと、過程だけではモチベーション維持は難しいです。気楽に我が儘に、だけだと燃料切れますから。
なので、ご心配かけておいて申し訳ないけど、嫌々やってるわけじゃなく好きでやってます。安心してください。こんなのブログでやりたいことをやれば必ずぶつかる問題で、愚痴言ったってしょーがないんです。とはいえわかっちゃいるけどたまには愚痴りたくなることもあるわけで、聞いてくれそうな人たちに向けて広範囲に愚痴っちゃいました。ごめんなさい。


「自分のためにやってんだ」ってのはバランス崩して本末転倒にならないように常に自分に言い聞かせてることでもあります。こないだ怒ったのも、あれぶっちゃけ同族嫌悪なんだよね。バランス崩した自分の姿を見たみたいでさ。てめえら俺がこんなに怖がってるラインをあっさり踏みこえやがってふざけんじゃねーよという。


あと、文字通り光り輝く笑顔を見ていい感じで力抜けたよ! ありがとう!