「表現」をする気がなくても話はできる。あと三周年乙。

実は今日でぴったりこのブログの開設3周年だったり。いつもご愛顧感謝。

↑最初の更新。
はじめた当初は「別に頑張って主張したいこととか特にないですしー。好きなもん紹介するくらいしかできんよ?」とか言ってたんですが、意外と興味持ったもんひたすら紹介するだけでもイケるもんですのう。正真正銘はじめてのサイト運営にしてはそれなりに頑張ったほうだと思うよ。えらいえらい。


さて、興味の対象がころころ変わってあっちゃこっちゃの話題をつまみ食いする僕のブログ運営の姿勢にも、最初からずーっと一貫してることが一つありまして。それはさきほど書いた「興味持ったものを紹介するくらいしか」って部分。よーするに僕には表現をするぞって気概がビタイチねーんですね。その代わりに他人のこの表現が面白いあの人の発想は凄いこの流れいいよねーみたいなことばっかり延々書いている。
確か数年前に「ブログも創作の一種である」みたいな話題が出たとき、おおむねそのとおりだと同意しつつもただし僕は違うってのに超こだわってたことを覚えています。

僕にとっては文章書くのなんざ単なる手段(キリッ

みたいなことを長文で書いてたような気が。お前は何を言っているんだ。
例えば「これだけニコニコ動画について書いてるんだからなんか動画うpしようぜ」って聞かれたときは、毎回「そう言われても特にやりたいことがない」って答えるわけ。つまり、僕にとって「書くこと」は「見ること」や「読むこと」の付随物なんですね。映画見に行ったあとに内容について友達と話したりするでしょう? あれをブログでやってるだけ。
けっこう後になってからわかったんですが、ブログでそれなりに長文書いたりするのを続けてるにもかかわらずこういう気質の人間って、かなり変に映るらしいんだな。普通そういうやつはやらないしやっても続かないと思われるみたい。ほんとなんだけどなー。
だからねー、今これを読んでいるあなたが「俺がブログ? ありえない」と思うような人だったとしても、やってみたらなんとかなっちゃったりするかもよ。僕みたいなのがそれなりに楽しくやれちゃってるわけで。特に大仰に表現したいことが無くてもね、無数の誰かに対して話しかけることは誰にだってできるのさ。
それで上手いこと反応が返ってきて手ごたえを感じれば、意外と続いちゃったりするのだ。証拠俺。


まあ、とはいえこのブログもここ最近はめっきり更新頻度下がって若干瀕死の体なのは否めないところです。敷居の先住民は衰退しました。


全盛期の08年は年間100万PV越えてたけど現在はその半分以下なわけで、数字はとても正直である。
そうなった理由は明らかに更新しなさすぎなのが一番なんだけど、実はこれは僕のところだけの話ではないのかもしれない、とも疑ってたりします。
根拠は自分がブログ巡りをあまりしなくなったこと、はてなブックマークやニュースサイトからの流入量が以前と同じ基準で見てあきらかに減っている*1こと。自分基準しかねーじゃねーか客観的なデータ出しやがれって感じですが。
実際、個人の体感として「今話題のあのブログのあの記事が〜」みたいな話題を見かける機会が露骨に減ってるのは事実なんですよねー。Twitterあたりのハードル低いものに押されてブログって媒体は徐々に縮小傾向にあるのかもなー、とか思ってるんですがそれを裏付けるデータは無いので誰か調べてくれないかな! 他力本願!

*1:ひとつ前のボカロ記事とか、ブックマーク数が50以上で大手ニュースサイトさんにもリンクされているにもかかわらず、各種リンクから飛んでくる人の量が以前の似たようなケースの軽く三分の一以下にはなっている。