その思いこみはどこから来るのか

海燕さんとこのこの記事に面白いコメントがついていたので、引用。エントリ本文も面白いんですが、興味深いコメントもたくさん付くってのはうらやましい限り。

 まあ、「自分はこういう風に作品と接している」ならともかく「他人はこういう風に接しているに違いない(俺は違うけど)」みたいな話は適当に受け取っておけばいいのではないかと思うんですけどね。

うんうん、ここ重要ですね。パターンとしては「自分はこういう風に作品と接している」→「他人もそうに違いない(そうすべきだ)」という流れもあります。本田透さんあたりはこっちの理論でしょうか。まだ自分を基準にしているだけましではあるけど、激しく論理が飛躍していることには違いありません。
「違いない」だの「そうすべき」だの決めつけられても、違うものは違うとしか言えないので適当に流すのがたぶん正しいんでしょうが……声の大きい人がそういうことを叫ぶことで、とても素直には頷くことなど出来ない「常識」ができあがってしまうのはなんだかなあって感じですね。そんなの作品を受け取る側の個性ってものを軽視しすぎだと思う。


こういう決めつけへ反論していくと、最終的には「価値観の違い」という結論以外は出ないのかなあ。違う価値観の人もいるってことを主張することには意味があるとは思うけど、せっかく対話しているのにそれだけじゃいかにも寂しい話です。
全く違う作品の受け取り方をしてるもの同士は本当に話が通じないんでしょうか。自分にわからないものをわかっている人の存在は、気に入らないから排除したいってものじゃなくて面白がるところだと思うんだけど。