人の心はそんなに都合よく出来ていない

世の中なんて理不尽なもので、特に因果関係も存在せずに不幸が襲い掛かることは多々ある。本当に多々ある。

それに耐えられない、心の弱くて優しいひとたち、不幸な目に遭うべき人間だけが不幸な目に遭うと信じないとやっていられないひとたちが、「被害者にも落ち度はあった」という言説に縋ろうとする。

願望と論理の飛躍が結びつくとたいていロクなことにはならないという話かな。元になっている事件の記事はまだ読んでない*1ので、この部分読んで思ったことをちょっとだけ。


よくある「結論ありきだ」という批判は要するに「嘘を吐くな」ということだけど、だいたいそういうこと言ってる当人に嘘吐いてるつもりはないのである。自分の都合のいい理屈が見つかって、その論理の飛躍に気付かずに「なるほど!」と目から鱗が落ちてしまうのだ。これは誰でも経験のあることではないかと思う。
かくいう僕もその例に漏れない。このブログにしたって願望を優先して事実に目を背けてしまっている過去記事はいくつもあるだろう。ぶっちゃけ後で読み直して「こいつ死ねばいいのに。あ、これ書いたの僕か」と思ったことは*2何度もある。
ところで今これを読んで「お前はそうかもしれねえけど俺はそんなことねえよwww」とか思った人は危険度MAX、メーター振り切れてる可能性があるので注意されたし。「人として軸がぶれている」というが、全く軸のぶれない人間というのもだいぶうさんくさいもので、そんな解脱した聖人のような人が世の中にごろごろいるわけがないではないか。あなたは自分がそんなに凄い人だと思う?


人の心はそんなに都合よく出来ていない。

*1:けど痛いニュース等で「派手な格好してるのが悪い」的な言説は何度も見たことある。飛躍してる飛躍してる。

*2:まだはじめて一年にも満たないくせに