「どうにもならない」から「どうとでもなる」へ
今日は引用はしません。この文章の一部だけを抜き出して誤解されたくないんで。別にこの後の僕の反応はどーでもいいんで、とりあえず全文読んでみてください。もう、ここ数年僕が思っていたことを丸ごと言語化されたような気分で、個人的にクリティカルヒットしてるんですよ。
普段からつきあいのある人は知ってると思うんだけど、僕は「生まれてこのかた死にたいと思ったことなんて一度もない」とか「生きてて楽しくてしょうがない」とかいうことをけっこう言うんですよね。まあ元々あまり深く悩まないほうではあるし別に嘘を言ってるつもりではないけど、かなり意識的に言ってる気がします。そうしないと、常識とかレッテルとか、そういう「何か偉そうなもの」*1に負けてしまう気がして。
少なくとも10代の頃の僕はこうじゃなかった。スクールカーストとかオタク趣味の後ろめたさとか、色んなものに翻弄されまくって、鬱屈してるわ捻くれてるわ、ロクなガキじゃなかった。昔のアルバムを見直してみると、周りじゅうに敵意をばらまいてるような目をしてる僕を見つける。何がそんなに気に入らないんだおまいは(笑)。きっと世の中にはバカしかいないとか、そんなバカなことを考えていたに違いない。
それが高校卒業して数年のうちにいつの間にか変わった。適当に入った大学を適当に中退して、フリーターになって、何年も一人で、あっちへふらふらこっちへふらふら。まあ、俗に言うドロップアウトというやつを経験したわけだ。普通ならそれまでの人生よりも劣等感と焦りに苛まれて苦しんでも良さそうなものなのに、なぜか心はどんどん楽になっていった。ああ、もう自分は「素晴らしい人生」を歩まなくていいんだ。もうレールからは外れてしまっているのだから。「堕落する準備はOK?」*2
てか、アレ? この人生、案外悪くないんじゃね? 好きなことはたくさんある、ちゃんと自分で自分の面倒も見られる。これ以上、何か求めることあるの?*3 そう考えると、またさらに楽になった。うん、僕はこれで十分だ。
元エントリには「当の本人には伝わらない」、「自覚や説得ではどうにもならないこと」、「どうにもならないことは、どうにもならない」など、ネガティブな意見もたくさん付いています。そりゃ確かにその通りなんだけどさ、ほんとに自覚ではどうにもならないのかな? たぶん僕の抱えてた劣等感や鬱屈なんてちっとも大したことじゃないと思う。だからもっと大きな悩みを抱えてる人についてはわからないけど、自覚するだけで一気に楽になるひとも相当数いるんじゃないのかな。
「他人にはどうすることもできない」と言うけども、その人の価値観では自分よりもっと恵まれていないように見える人が隣で気楽に楽しそうに生きていれば、ちょっと気持ちが楽になる助けにはならないもんかな?
例えば僕は回り道をしてる分同い年のやつらに比べて収入も少ないし地位も低い。これも人によっては激しい劣等感の原因になると思うんだけど、僕は全く気にしていないし、後悔もしていない*4。そんなやつが隣にいれば、悩むのがアホらしいって思えてくる人だって、いると思うんだよな。
「どうにもならない」から「どうとでもなる」に意識を変えるだけで解決する悩みなら、論より証拠を横で見せることは効果があると僕は思う。こんなの、本当にどうにもならないことで悩んでる人にはとても通用しない理屈なんでしょうけど。
まあ、僕の自分語りなんかより今回の話で挙げられてる作品のほうが絶対面白いから。いいから↓の作品やりましょう。
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