自分語りは後で見直すと恥ずかしい

 もちろん、ぼくには新たに物語を生み出す才能はないし、物語の主人公になるような資質もない。でも、そもそもあまり主人公になどなりたくはないのだ。

 ただ見るだけ、読むだけでも十分楽しい。ひとはひとつの人生しか生きられないが、無数の人生を読み、見ることが出来るのである。その喜び。

 この世界には「読者」であることに満足できないひともいる。他人の物語に自分を投影するひとも少なくないらしい。ぼくにはあまりそういう欲望はないと思う。

 ただ読み、ただ知りたい。自分のことにはあまり興味がない。自分よりおもしろい人生を生きた他人にこそ興味がある。


――主人公にならなくてもいい。

 うんうん。綺麗にまとめるとこういうことが言いたかったのです。踊る阿呆に見る阿呆と言いますが、見る阿呆がみんな内心踊りたがってるとは限らないという話。傍観者でいることの幸せ。


 てかこういう自分語り要素が多い文章は後で読むと死ぬほど恥ずかしいな(笑)。おめーがホンモノか偽物かなんておめー自身にとってしか重要じゃねえんだよ! 自意識過剰なガキめが! って感じに突っ込みたくなる。特に引用されたりすると客観的に見れてしまうのでモロにクるものガガガっ! や、反応があること自体はとってもうれしいんですけど。