二次創作的手法の一次創作

さて、前回に続いてまたツイッターの投稿から記事を書いてみます。

山本弘先生の「何で日本の一般人が考える「異世界ファンタジー」のイメージって、こんな画一化しちゃったのか」ってな発言が物議を醸していたのですよね。*1

で、それに反応したわれながらそーとー極端な発言。んなこと言ったって異世界でモンスターとか魔法とか出てくる世界観の小説を「ファンタジー」以外のなんと表現するのか。「別ジャンル」(断言)はなんぼなんでも言い過ぎよなあ。
とはいえ、ファンタジーなら作者の数だけ異なった世界設定があってもいいじゃないかってな理屈をゲーム風異世界もの小説に適用するのって、なんかものっそい違和感あるっていうか、全然ピンと来ないというか……。


で、山本弘先生は「いや、ソードワールド小説書いてたお前が言うなと言われそうだけど(笑)、あれは元がゲームだからしかたないのよ。」ってなエクスキューズもいれてらっしゃるんですけど、ここがポイントかなと思ったのです。
現在進行形でゲーム風異世界小説も大量に読んでるし、過去にソードワールド等のシェアードワールドノベルも読んでた僕からすると、明確に原作世界観があるシェアードワールドノベルとオリジナルのゲーム風異世界モノは言うまでもなく別物っていう前提からしてまずピンとこないんですよ。*2

二次創作の強みを取り入れたオリジナル

これ過去の同人誌で同じこと書いた記憶があるんですが、Web小説のいわゆるテンプレ異世界ものって、二次創作的な手法でオリジナルを書いていると考えられますよね。世界観とかキャラとか前提のストーリーとかすっ飛ばしていきなり書きたいこと書けるってのは二次創作の大きな強みですけど、テンプレ使うとオリジナルなのにそれができちゃうと。


こないだの記事で話題にしたみたいにトラックに轢かれて転生してみたり神様出してみたり、冒険者が集まる酒場ではとりあえず主人公が強面のおっさんに絡まれなければいけなかったりね。
世界観とか設定だけじゃなくて、展開までわざとテンプレに寄せていく。むしろ作者さんが「テンプレ通りの展開書きたかったのにちょっとずれちゃったくっそー!」みたいなことを冗談めかして言ったりするんだな。

この流れの大きなメリットは、以前ならオリジナル小説はハードル高いから絶対書かなかったタイプの人間ですら思いつきで創作をはじめてるってとこかと思います。単純に一次創作の書き手を増やしている。

テンプレートというのは、面倒な部分を省略して自分が書きたい部分に集中するための補助器具であると同時に、「俺ならこの設定はこうするぜ」「俺はこのお約束を逆手にとってやる」といった形で多様性を生み出すジェネレーターでもある。
「小説家になろう」のWeb小説における異世界ファンタジー類型まとめ - WINDBIRD

つまり、テンプレは物語ジェネレータであると同時に、作家ジェネレータでもあると。
極論すると、その人が面白いもん創りだせるかどうかなんてやってみなければわからんのです。きっかけは多ければ多いほど良いし書く人が増えるなら増えてくれたほうがぼくはしあわせ。

ひっくり返して考えると「皆がそんな便利なもんに頼ったら純粋なオリジナル無くなっちゃうじゃん」ってなデメリットもありそうなもんですが……二次創作がいくら大きくなっても、別にそれで原作が消えたりはしてないしなあ。


どんなに作品が溢れかえっていても、真似したくなるほど鮮烈な印象を多数の人に与えるものとなると、とたんに数は限られてきます。これは今も昔も変わらない。
であるならば、世に出る作品や作家を単純に増やしているという確実な成果のほうを僕は評価したいですね。誰も見たことのないすごいものがそこから生まれないだなんて、誰にもわからないでしょう?

追記

なんかうまく言いたいことまとまってない感じなので最後に改めて要約すると、意図的な画一化によって発展してきた側面のある文化に「なんでファンタジーなのに画一化しているの?」と問うのって、「異世界ファンタジーなのになんで東洋風なの?」って問いと同じくらいピンとこないぞ、ということですね。
そんなもんは創作として邪道だしわしゃ一切認めんぞ!ってんなら、まあそらそういう人もいるやろなあ、と思うんですが。

*1:なお、その元発言は精霊の守り人ドラマ版視聴者の感想に「異世界ファンタジーなのに東洋風なのはおかしい」とかいうトンチンカンなのがあったようで、そこから「いやいやそもそもファンタジーって……」という流れで発言されているみたいです。

*2:これも長年小説で飯食ってきてる作家さんからしたら、そこいっしょくたにされたらたまらんわ!! ってなりそうな乱暴な理屈ではあるけども