「絶賛すぎて気持ち悪い」を恐れるな

全然気づいてなかったのだけど、『魔王勇者』にはそろそろ絶賛だけじゃなくて批判もけっこうな数集まりだした模様です。だいぶんメジャーになった証拠でしょう。そりゃあそこまで話題になりゃ批判も出なきゃおかしい。

そのへんの批判議論の話題も含めた感想記事としてはここらへんがわかりやすいかも。

まおゆうの感想。大体自分のまおゆう自身に関する感想もこんな感じ。批判してるひとが批判してるのは作品ではなく「絶賛してる人」なんじゃないか。絶賛してる人の絶賛の仕方があまりにも無邪気なことに対して。

はてなブックマーク - エクストラレポート・ルーム:【まおゆう】魔王の知らない「向こう」は私達もきっと知らない【批判議論も】 - livedoor Blog(ブログ)

んで、今日の本題はその記事のブックマークコメントについてたこの意見について。
「絶賛してる人」を「無邪気に絶賛してるから」って理由で批判するのはさすがに理不尽極まりないので、せめて何か理論武装してください! と言いたくなるけど、実はこのへんの心理はわからんでもないです。
この方だけの話じゃなくて、もう少しマイルドだけどTwitterでもちょこちょこ出てたわけですよ「絶賛すぎると逆に引く」とかそういう意見。多かれ少なかれたいていの人が持つ感情じゃないかなあと。

「全力で薦められてたら引く」って心理は確かに存在するけど、その心理に殉じて「読まない」選択をするほど意思の固い天邪鬼はめったにいない。結論としてんなこたー心配せずに全力で薦めればよい。

Twitter / 敷居/まきがい

……でも、現実的にはこうだと思うんだよなー。多分に紹介ブロガーの都合を優先した効率重視の考え方だとは思うのですけど。
何かを強い情熱で絶賛するってのはねー、やっぱ強いですよ。それに対するカウンターとして上記のような感情をある程度の人に与えるのも事実だけれど、それはあくまでカウンター。天邪鬼は少数だから天邪鬼なのです。声が大きいと一見多数に感じられることもあるかもしれないけど、んなこたあない。
手加減せずに全力で絶賛していいんです。何も恥ずかしがる必要はありません。



……ところで、そのままの流れでまおゆうは嫌韓流だ云々の議論を巡ったり。「嫌韓流」って例えはさすがにどうかと思うぜ!

おもしろいか、おもしろくないか。それだけが問題だ。フィクションに思想だの教育云々など極上の料理に蜂蜜をぶちまけるがごとき愚行。とかいいたくなるけど、それは思考停止だと怒られちゃうかの。

Twitter / 敷居/まきがい

僕が一通りTogetterのまとめ巡った感想はこう。面白けりゃそれでいいじゃん無批判に受け入れろよ、みたいな言い草に見えるのがちょっとアレ。
実際思想が前に出すぎて楽しもうにも楽しめないフィクション*1ってあるしね。一言で言うと「説教臭い」系統。んで、「これを無批判に受け入れているお前らはヤバいぞ。考えなおせ。」とか言いたくなっちゃうわけ。なんか書いてて恥ずかしくなってきたけど、そういう気持ちになることってあるある。
ただ、『まおゆう』がそうだっていうのはかなり不思議だなあ。かなり長い議論のまとめも頑張って全部読んだんですけど、ぜんぜんまおゆうの話をしているように感じられなくて混乱しました。うーん……そんなお話じゃなかったと思うんだがなあ。

*1:当たり前のように「楽しめるかどうか」だけを基準にしてる時点でダメだって言われそうだが