『普遍性』という名の幻想

 上京する直前、21日から22日の午前までは敷居邸でした。
 今回は連休ということで、カトゆーさん、ゴルゴ31さん、箕崎准さん、GiGiさん、はしさんという珍しい人員を招いた10人以上のオフ会に。

 
 例によってニコニコ動画鑑賞会になっていたのですが、その中でも自分の印象に強く残っていたのは以下のニコマス動画でした。今年のバレンタインデーにアップされた動画のもよう。
 アルカイック・スマイルのまま平然とステージへと進んでいく姿の高潮感がすさまじい。
 ラスト、ステージ上で脱力したポーズが「最初の室内での姿勢」に繋がっている所に注目。

【ニコマス】遡って敷居邸日記 - ピアノ・ファイア

少し前のいずみのさんの敷居亭日記が面白かったのでいまさら反応してみる。
普段はオフ関連の話題はあんまり書かないのになんで今回に限って反応するかというと、例によってプロジェクター使って*1大量に上映したアイマスMADの中で、いずみのさんが「一番強く印象に残った」とブログにまで貼っている動画が、よりによってタクヲPの『サンデイ』だったため。
THE iDOLM@STER 天海春香 「サンデイ」‐ニコニコ動画(9)
ちなみに、いずみのさんがアイマスMADをたくさん見るのはうちに遊びに来たときくらいで、普段はボカロ見てる率のほうが高いそうだ。
「よりによって」とはずいぶんな表現を選んでタクヲPには申し訳ないけど、普段から日常的にニコマス巡回をしている人はこれを聞いて「へえ?」とちょっと意外に思わなかった? いや、もっと言えば今「ふーん」と思ってクリックして初めて動画を見た貴方。「確かになにやら凄いけど、濃すぎて初心者にはお薦めできないな」とか、そんなことを思わなかった?
もしそう思ったとしたらだ、それはおかしな話ではないかな。今はじめて見た貴方に伝わったのに、なぜ他の人には伝わらないと思うのだろう?


……ちょっと意地の悪い質問になってしまったかもしれない。や、そういうタイプの作品ってあるんだよね。実際にはかなり普遍性があるんだけど、「これは俺(たち)にしかわからない」みたいに思わせてしまうタイプの作品。これはアイマスMADに限った話じゃなく、マイナーメジャーな感じのジャンルだと非常によく見られるタイプの錯誤じゃないかと思う……まあ程度問題ではあるので、「錯誤」ってのもちと言いすぎかもしれないけど。
アイドルマスター ワンダーモモーイ by 亜美@とかち re:produce‐ニコニコ動画(9)
例えば、この動画と『サンデイ』比べてどっちがわかりやすいかっつったらそりゃ圧倒的にワンダーモモーイだろう。
もっとみもふたも無く漫画で例えると、『H×H』はむちゃくちゃ面白いしターゲットもかなり広いけど、『ワンピース』のほうがさらにターゲットは広いわなあと。


いや、そりゃあね、『サンデイ』は一見していかにも難解な雰囲気の動画です。


何回も何回も再生してますけど途中で挿入される台詞が何を意味してるかとか、ぶっちゃけ僕にもよくわかんない(笑)。けどさ、なんか凄いでしょ。やたらめったら凄いでしょ。実写と交互に挿入される表情とか動きとか見てるとゾクゾクくるでしょ。
これを普遍性と言わずしてなんと言いましょう。

サンデイは濃い⇔薄いでいうと間違いなく超濃厚な動画なのだろうけど、文脈に詳しくなくても動画単体で十分凄みは伝わると。まあ本当に凄いもんってのはだいたいそうだわな。

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これはさっきの記事につけた僕のコメントですけど、ここでいう「文脈」ってのはアイドルマスターのゲーム本編のストーリィだったり、過去に大量に積み重なったアイマスPV動画だったり、その中でつちかわれた春香さんのイメージだったりするわけですが……それをわかっていないと動画の凄みが伝わらないかといえば、伝わっちゃうわけです。*2


アイドルマスター 「H@NABI SKY」‐ニコニコ動画(9)
例えばまこTPの『H@NABI SKY』は、ほぼ全編ねんぷちの静止画のみで作られた動画であること、アケマス→箱→SPの順番にキャラが増えていき最後に「初めて」の雪歩に戻ってくる構成になっていること、「アイドルマスターが思い出を作るゲームなら、動画を作ることは思い出を伝えることだ。」という投稿者コメと一緒に当時のアケマスのプレイレポへのリンクが貼られていること……これら全てが感動ポイントなわけですが、その情報を全て知らない状態で見たとしてもやっぱり凄い動画なんですよ。
事実、僕はうちで動画を上映したときに前述の情報全く知らない人が「おおっこれは!」と身を乗り出す反応を何回も見ています。『サンデイ』や『H@NABI SKY』に限らず色んな動画でね。僕はそういう生の反応を見るたびに、自分が頭の中で思い描いている「普遍性」という名の幻想は、なんと狭いことだろう……ってのを思い知らされるのです。「わかってればさらに楽しめる」と「楽しめない」は、ぜんぜん違う。


このへん特定のジャンルを知れば知るほど、近づけば近づくほど捕らわれやすいものでして。僕はブログ初めた初期からわりとこのへんは意識し続けているつもりなんですけど、それでもやっぱりある程度は捕らわれちゃうんだよねー困ったことに。
2年半前と違って、今の僕はアイマスの全キャラの名前も性格もキャラ特有のネタもそらでだいたい書けます。「抜き」だとか「シンクロ」だとか「長回し」だとか、ニコマス特有のジャーゴンもある程度は知ってます。でも、それで判断できることって実は大して多くないのです。ウンチクとか用語辞典的な楽しみってのはあるんですけど、知ってないと伝わらないのか知らなくても問題無いのかの判断にはたいして役にたたなかったり。全く意味ないってこたないけど、逆に見えなくなる部分も。


この記事ではニコマスを例にしてますけど、これ別に動画に限った話じゃないよね。「○○は初心者向け」「○○は玄人向け」みたいな議論に違和感を感じたことないですか? 「いや全然初心者向けだろ」「こんなの通じるわけねー」「いやそんなの主観で変わるだろ」とか色々。間違ってるとは言い切れないけどなんかもにょる感じ。
もちろん程度問題だし主観で変わるわけですね。万人にとっての正解なんて無いので個人ごとにラインが変わる。僕はねー、しょっちゅうもにょってる。初心者向けの範囲厳しすぎだろ! そんなのやり方次第だろ! と。僕のラインはかなり低めらしい。*3


でもねー、あきらめちゃダメだよ皆の衆。自分が凄いと思った作品を理解できるのは自分だけとか、そんな変わりもの滅多にいませんて。自分が「うおおすげえええええ!」と思った作品を人に薦めるときに「でも過去にこういうことがあったし……」「○○だから伝わりにくそう」「好みわかれそう」とか、知れば知るほど思っちゃうもんだけど、んなこたーないから。
なんだかんだ言って「これはすごい!」「これは良い!」っていう最初の衝動以上に信頼できるパロメータなんて、そうそう身に付けられないものなんですよ。ブログ2年以上やっててつくづく思いますが、衝動を言語化するのは、ほんとうに難しい。


大事なことだからもう一回言いましょう。
「自分にしかわからない作品」なんて、無い。

外部プレイヤー


オチ

ちなみに、『サンデイ』はim@sMSC3というMADの一部分を15秒程度ずつ見せて投票で勝ち抜きを競うイベントにて優勝をかっさらった動画です。決勝まで残っても公開は冒頭一分のみ。


それ「伝わりにくい動画の例」として出すってどうなのさ。

*1:敷居亭で開かれるオフの核は参加者のお薦め動画の上映会である。見せろ、語れ、そして飲め。用意してこなかったら僕のお薦めを強制的にエンドレスで見せられることになるので注意が必要だ。

*2:もちろん個人差はありますが

*3:ちなみにこれが行き過ぎると「俺の好きなものがわからないお前はバカだ」とか言い出す痛い人になっちゃうので注意が必要だ! 「こんなものを好きだというお前の人格が信じられない!」とか言い出すともっと痛いけど。