こんにちは、「宣伝屋」です。

さて、前回の記事の余談の部分に関して、以前同様cocoonPから突っ込みが入りました。

僕もコメントで書くと際限なく長くなっちゃいそうなので記事で返事しましょう。
まあ週末にオフで会うんだからそこで話せば良い気もするけど、全て吐き出しておいたほうが話すのも楽しかろうということで。

敷居さん、それは認識が逆ですよ。そういうものが過剰にもてはやされ、そして敷居さんが「正統派」と呼んでいるようなものが蔑ろにされていると感じる人が多いから、一見エフェクトとか派手でもそれらはツールの力であって実はたいしたことしてないんだよね、という記事がたくさん出るんです。まさに敷居さんがおっしゃっているのとおなじ意識で書かれているんですよ。

んーと、逆じゃないと思うなあ。そこが原因だろうというのは想像が付きますが、その上で僕の観測範囲では叩かれがちだなあと。ニコマス系ブログで「派手なエフェクトが無いからこの作品は駄目」みたいなこと言ってる人、僕見たことない。でも「派手なエフェクトに頼ってるから駄目」なら何回も見てる。
ではニコニコ動画内部での再生数やコメントの内容だと逆になるのかといえば、再生数はともかくコメントではやっぱり「ダンスだけでつまらない」よりも「過剰演出すぎるから云々」のほうが良く見る気がするんですわ。
さて、この場合叩かれがちなのはどちらだと判断すればいいのでしょう? というお話。うん、主観が入るので結論なんか出やしませんな。なので僕は僕の主観に基づいて、自分は好きなのに叩かれがちだと思うものを擁護するのです。
では蔑ろにされているとは逆の、過剰にもてはやされているかどうかについて。うん、それは確かに紹介ブログでもニコニコ動画でも良く褒められていますね。ただ、それが過剰であって、もっと抑えなければならないものだとは思いません。自分が面白いと思ったものをストレートに褒める! ってことの効用は、ニコニコ動画で再認識している人が非常に多いんじゃないでしょうか。


でも、叩くことそのものを非難したくもないです。「んーともっとエフェクト抑え目にしてダンスを綺麗に合わせたやつのほうが好きだなあ」と好みを表明してもいいし、cocoonPが望むように、そういう好みの表明よりもさらに踏み込んで厳しく論評する人がもっといてもいいと思う。もちろんそういうことをすれば当然反論があるに決まっていますが、反論じゃなくて「素人相手なんだから手加減しろ」「何もわかってないくせに偉そうに」みたいに、行動そのものを抑え込もうとする光景が目に浮かぶのがちょっと嫌だなあ、というのは前回の記事にも書きました。そりゃあちょいとバランスを欠いている。頼んでもいないのに手加減の要求を代弁される作者のほうこそいい面の皮じゃあるまいか。
だから、僕は仮にcocoonPやその他の方が特定の作品を叩いたとしても非難はしません。ただし、それが自分の好きなものなら擁護するでしょう。僕は好きだよ、誰がなんといおうと好きだよってね。プロだろうがアマチュアだろうが、広く公開した以上それは避けられないものだと思ったほうがいい。


まとめると、「もっと的確に褒めろ」「遠慮せずに叩け」という意見はわかるけれど、「大したことないものを褒めるな」「良いものを叩くな」は嫌だし誰も従わない、という話。
あのね、きっとcocoonPは前者のつもりで書いてるんだと思うけれど、ぶっちゃけそのまま読むと後者に見えちゃうんですな。それはニコニコ動画がここまで拡大してきた方向を逆走しているようなもので、断じて同意できません。
えー、なんというかこういうのって具体例を出すとアレな話なのでしょうがないのかもしれませんけど、僕が覚えているcocoonPに直接指摘された具体例って、「大したことないもん褒めるな」なんだよね。ついこないだのMMDの記事。

cocoonP 2008/04/12 21:06
MMDはモーションデータ単体を公開して配布できる(そしてそれを動かすソフト=MMDがフリーである)ので、他人の成果をトレースするところまでを一気にすっ飛ばしていけるから進歩が早いんですよね。
たとえばシャイスマで亜美真美と競演してるやつなどはその典型で、この動画を作った人自身は素材にほとんどまったく手を加えずに動画を作れたはずです。アイマス側の亜美真美競演なんかも加工して作る捏造物の初歩中の初歩ですし。

# やっぱり敷居さんは作る人じゃなくて見る人なんだなあと思ったり。

いつの間にかMikuMikuDance動画がブレイクスルーしてる件 - 敷居の先住民"

これね、文脈としては「最近MMD凄いぞ」なので、それの例に他の方のモーション利用した動画を出すのはどうよ? という突っ込みはよくわかるんですけども、初歩だから「念のために言うけど亜美真美競演はゲーム内では不可能」という解説をすべきでないとは思いません。わかんない人にはわかんないもの。書かないほうが不親切でしょうし、そんなおおげさに褒めてるわけでもありません。
で、同じコメント欄についた件の動画の作者のchaosさんのコメントがちょっと気になっていまして。

chaos 2008/04/13 11:16
はじめまして。亜美麻美ミク競演を投稿したchaosと申します。動画をご紹介頂いて恐縮してます。動画の内容につきましてはcocoonPさんのおっしゃる通りで、たいして難しいことはやってない(出来ない)のですが、仮合わせをしてみたときのインパクトが凄くてこれは MikuMikuDance 凄いことになって来たなと感動して投稿した次第です。ただ結構自然に見えるようには努力しましたよぉ〜w

私もアイマスMADが大好きで見る専で1年近くニコ動見てましたのでアイマス好きな方からの非難は覚悟しておりますが、一般の方と思いますが思ってたよりびっくりされてるコメントが多くてこちらが驚いてる状態です。

いつの間にかMikuMikuDance動画がブレイクスルーしてる件 - 敷居の先住民"

アイマス好きな方からの非難は覚悟しております」という部分。なぜ、評価されないことじゃなく、非難を覚悟しているのでしょうか?
これこそが「大したことないもんは評価すんな」という方向の弊害ではないかと思うのです。後になるにつれて間口が狭くなって、新規参入組、いなくなっちゃいますよ。


好きならじゃんじゃん褒めればいい。その褒め方があまりに酷ければ読者はその人を見限るでしょう。明らかに凄いものでも気にいらない部分があるなら文句言ったっていい。その文句があまりに的を外していれば、しっかりフルボッコになるでしょう。もちろんフルボッコになるのが怖いなら無理にやる必要もない。それでいいんだと思う。

多分そういう軋轢は、人の好みが完全に統一されるとても気持ち悪い世界がやってこない限り、永遠に続きます。なので、「叩かれることを恐れる」という行為に意味はありません。逆に、意図して風潮を壊そうとすることにもさほど効果はありません。自分が思うところを素直に述べるのが、書く人にとっても読む人にとっても一番意味のある行為だと自分は愚考するわけです。

さて、ながながと書いてきたけど、結局ここまでは同じことを言ってるだけな件。cocoonPとやりとりするとどうも枝葉末節に物申したくなっていかんなあ。



ということで、以下が本題になります。

だから自分はスクリーンショットが直接的に視覚に訴えない動画について「なぜ気持ちいいのか」を、この人なら書けるだろうと思っている人にはNudgeするんです。

そうですね。それを出来るようになりたいなあと色々愚痴っちゃいました。
cocoonPが「やってほしい」と言ってることと、僕が「できるようになりたいなあ」と言ってることは実のところだいぶ内容が近いことです。対立してないので、後は精神論の話になる。愚痴ってないでやれよ! んなこと言われてもどうすりゃいいのかわかんないよ! みたいな。

結局「逃げてる」んじゃないんですか?
敷居さんは「俺は宣伝を書いている」と語る割には、敷居さんのエントリには宣伝文句がちっとも述べられていません。ただ事実を淡々と述べているだけです。以前のやり取りの際も書いたように、取り上げられている動画はたいていの場合「すでに伸びているもの」です。そのやりとりの際には敷居さんは「ニコマスに興味がない人に訴求すること」が目的である旨のことをおっしゃっていましたが、文脈的には、すでにニコマスについて知っている人に向けたものがほとんど

そして、「論評」でも「解説」でもないとおっしゃる。しかし、正直な印象を言うならば、上記のようなスタイルであるために、一番近いのは論評だと思うのです。その上で論評じゃないとおっしゃるので、単に論評と言い切れるだけの自信がないので逃げているのだというように感じるのです。

でもなあ、ここについては納得できない。このへんはたぶん僕の地雷なんだな。確か以前コメントで誰かに言われたときも若干過剰反応してたし。泣くぞ、泣いちゃうぞ、とか。ちなみに解説でないとは言ってません。技術解説にあまり興味が無いと言っただけで、必要なぶんの解説はします。意味不明では困る。
ええと、改めて昨日のTwitterの呟き抜粋しますが、

てか僕「ニコマス」の宣伝してるつもりなんだけどなー。それができてないんなら超ショック。僕は何をいままでやっていたのだ。

Twitter / 敷居/まきがい"

(誰に対して宣伝しているつもりなのかがブレてるのでは? という質問に対して)
ニコラー全体に。そして、ニコニコの外の人にはニコニコ動画の楽しさを知ってもらいたいと思っている。自分の好きなジャンルに人も引きずり込みたくなるってのはオタクの本能だわな。

Twitter / 敷居/まきがい"

あのね、僕にだってプライドはあるよ。
複数人から「あなたがきっかけでアイマスMADにのめり込むようになった/ニコニコ動画のアカウントを取った」と声をかけてもらったこと、これは予想以上に積み重なったアクセス*1よりもはるかにはっきりと実感できる僕の誇りです。
あの葡萄は酸っぱいに違いないと思っているわけではありません。こればっかりは何度聞かれても自信を持って断言できることです。というかこれ、MAD職人なら絶対にわかるはずの心境じゃないですか。なぜ、それを誤魔化しや逃避だと思うのでしょう。


記事の内容からそういうふうには見えないとのことですが、思いつく限りの宣伝文句を並べてるつもりなんだけどなあ……。確かに僕のやってることって事実を淡々と述べてるだけですけど、そのとき起こっている面白い事実を誰にでもわかるように適度に煽りを入れつつ説明するってのはそう簡単なことではありませんよ。*2僕の認識では、それは評論ではなく宣伝……を目的とした、「報道」になるんだけど。

 自分は自分自身の意見の表明者であり、

 批評や論評、感想であったとしてもその言葉は一次情報、言い換えれば正しく創作物であり、

 ならば私は創作者として真っ直ぐに立つべきなのだ。

たほうめんにむけていろいろ - 飛んでから見れ!"

ところで、こちらの記事で名も無きタグ屋さんがおっしゃられているように、ブログも創作物であることは否定しません。たくさんの文章を綴ってブログを書く人というのは自然と自身も創作に興味がある人が多くなるという傾向はあるでしょう。創作者として真っ直ぐに立つ。それも一つの立場として立派だと思います。


でも、僕はそうじゃないのね。昔からず〜っと創作物を読むのが、見るのが、遊ぶのが大好きですが、創ることには、本当に、全く、興味がない。ブログに書く文章を工夫するのは単に必要だから。実際にアウトプットされるものの違いというより、意識の問題ですね。
これは10数年ネットをROM専として徘徊してきた経験側なんですが、どーもクリエイター願望がある人というのはそれが無い人の存在を信じない傾向があるんだよなあ。これだけ好きならこいつもきっと作りたいと思っているに違いないみたいな思い込みがあるような。そんなことないってばさ。目立ちたがりやであることは否定しないけどねっ!
創作に興味はないけど創作物は大好きだったので、将来的には出来ればいかつい消費者で良いサポーターになれたらなあと夢見ていました。創作者あっての消費者ですが、消費者がいなきゃ創作者だって精神的に干からびる。*3そんなふうに消費者の立場を貫くことが、必要以上に自分を卑下していることになるとも思わないのだけど。これはcocoonPが書いてる「見る専*4の誇りを持て」ということにならないかな。


MAD職人もクリエイター願望を持つ人は多いとは思いますが、あくまでファン活動の一貫としてネタ動画をファン同士で楽しむコミュニケーションツールとして、或いはそれこそ宣伝のためが主目的という人もかなり多いはずですよね。完全にどっちかに偏ってるわけじゃなくて両方の側面があるんでしょうけど。そういう人たちが同じ場所で混在して活動しているというのも、MADってものの面白いところなんじゃないかと。僕はそういう人たちを出来る範囲でサポートしたいのです。


まあ、エンターティナーとしての自己顕示欲も出来れば満たしつつ、ねw
これに関しちゃ十分以上に満たされすぎでちょっと良くないんじゃないかと思わないでもない。自己評価に対してちょっと評価が大きすぎます。

*1:まあせっかく公開してるんだから、そりゃたくさんに見てもらったほうがうれしいですけど

*2:いや仕事でニュース書いてるような人にとっては子供の遊びレベルかもしれないけどさ、僕にとっちゃ簡単じゃないよ全力投球だよ。

*3:プロなら金銭的にも

*4:このスラング嫌い