「パクリ」と「盗作」の境界線

 というかまあ、基本的にはぼくも、まきがいさんと同感なんですよね。あらすじが一緒だからって、面白い面白くないには関係ないとぼくも思う。ちなみに、ぼくはパクり容認派の人間なんで。パクろうがパクってなかろうが、面白ければ良いんですよ。というか、まず前提がまちがっているとすら思う。 
 だって、すべての物語はパクリの積み重ねで出来ているものじゃないですか。


――パクリとかパクリじゃないとか、実はどうでもいい。だって、世の作品はすべてパクりなんだから。

ちょっと待ったそれは言いすぎ。というか、「パクリ」という言葉の範囲を広げすぎ。「題材」とか「着想」とか「パターン」とかそういうのを全部ひっくるめて、「ディテールまでコピーする」意味は無い言葉として「パクリ」を使ってるみたいだけど、それはいくらなんでも誤解を招くと思う。「パクリ」というのは≒「盗作」くらいの意味のスラングなわけで。
「似たような話を2回目にやるとパクリと言われ、3回目になるとそれはジャンルと言われる」ってのは誰の言葉だったかな。赤松健あたりだっけ? 要するに「パクリ」って、実にいいかげんな言葉なんだよね。「2番煎じ」くらいの意味で使う人もいれば「盗作」の意味で使う人もいる。まあ「萌え」とか「オタク」とか、そこらへんの言葉も似たり寄ったりな気もするけど。


そんな人によって定義の違う言葉で何かを断言してしまうと、ぜったい誤解されます。この場合、「パクリ」=「盗作」という定義をしてる人なら「すべての物語は盗作の積み重ねである」って受け取るわけですよ? そんなバカな。それでは新しい物語なんていつまでたっても生まれないぞ。コピーであろうが面白ければいいってのは、そりゃ単にコピー元が面白いだけでしょう。
僕も「パクってようがパクってなかろうがそんなもん大した問題じゃない」とか書かずに、「おおまかな粗筋が似てても大した問題じゃない」とだけ書いてれば良かった。こういうてけとーな言葉をうっかり使うと言いたいことがまともに伝わらなくなっちゃうね。なるべく意識して使わないようにするのが賢明かもしれません。


オマージュだろうがパロディだろうがインスパイヤだろうがリスペクトだろうがなんでもかんでも「パクリだパクリだ」といって憤る人が一定数いるので言葉の意味が際限なく広がっちゃったんだろうなあ。まあ、便利な言葉ですからね。明らかに盗作ってほどじゃない単なる二番煎じであっても、「パクリ」という非難なら浴びせられるし、オマージュとかを全てひっくるめた言葉としても使える。最初は「盗作」=「パクリ」って意味だったんだろうけど、どんどんそこから離れていって、いまはどこに境界線があるのやらさっぱりわかりません。


件の携帯小説を読んでみて本当に問題だと思う人は、「パクリ」だなんて中途半端なことは言わずはっきり「盗作」だと断言したほうがいい。で、「盗作」って意味じゃなく「パクリ」だと思うなら、それは大した問題じゃないから。