僕がエロゲオタな理由

ぼくとしては、型通りであるからこそ、型を乗りこえることの衝撃があるのだ、と考えたい。


――ジャンルフィクションの魅力とは何か。

怖いくらいによくわかる。僕にとっては、フィクション作品に対するときに一番期待している部分がまさにそこ。まあ、僕がこの手の快感を常に求めているということは、さんざんチャットで語ってることだから、海燕さんも知ってるだろうけど。

僕はどんな萌え系のゲームやってようが、エロエロなゲームやってようが、もっと対象を広げてジャンル小説を読んでようが、常にその型が崩されるのを期待してるんですよね。「あーそろそろ誰か狂ったことやり始めないかなー」とか「急に世界が崩壊しないかなー」とかいつも思っている。言語道断な読者です(笑)。
 常に広義のセンス・オブ・ワンダーを求めていると言ってもいいかも。SF者じゃないのに。「お前は絶対SF好きなはずだ」ってよく言われるのは、僕のこういう姿勢が理由なんでしょうね。

前に書いた通り、僕はエロゲオタなのにエロシーンはほとんどスキップします。いや、これかっこつけて言ってるんじゃなくて、ほんとに空気のように飛ばしてしまう。でも、エロシーンは重要だし必要だと思っている。これ、矛盾してますよね。邪魔だ邪魔だって言ってるのに、無いと困るとはどういうこった。
「意外な展開を求めている」と言えば聞こえはいいのですが、自分でもちょっと常軌を逸してると思う。一体この感情はなんなんでしょう?


考えてみたんですが、そのジャンルに対する屈折した愛情の現れなんじゃないかな。
やっぱ結局エロいの好きなんですよ。エロ好きじゃなかったらこんなにエロゲやるわきゃないし、そのジャンルにおける王道を愛してないと、それを乗り越えた瞬間に衝撃を感じるわけがないんです。ただそれを生のまま摂取しても、もう体に耐性が出来てしまっていて、受け付けなくなっているんでしょうね。だから型からはみ出てしまうようなどぎついスパイスを求めてしまう。

結局、僕は「エロがある」前提のエロゲっていう型の中で、それを破ってくれるような作品が出ることに快感を覚えているんですね。萌え系の作品にしても同じことで、僕はいわゆる普通の萌えゲーにはちっとも魅力を感じないけど、その「型」自体は大好きなんです。たぶんきっと。

そして素の素材を受け付けなくなった結果、そのジャンルにおいては異端としか言えないような、スパイスのほうが主役になってしまった作品ばかりをもてはやすことになる。それじゃ本末転倒ですよね。でも、もうこれ自分で制御できるようなことじゃないんでどうしようもないんです。僕はこれからも、そういう変な作品ばっかりを鵜の目鷹の目で探していくことになるんでしょう。はたしてそれが幸せなことなのか不幸なことなのかよくわかりませんが。

まあ、そんなに悲観することでもないと思います。なんだかんだで出来のいいゲームなら普通のエロゲでもそこそこ楽しめますし、王道を全く受け付けなくなっているならそもそもそのジャンル自体に興味が無くなっているはずですから。ただちょっと普通のひとよりそのへんのバランス配分がおかしいだけなんでしょう。「パルフェ」とか「つよきす」とか「エーデルワイス」とかも好きだもん。*1

そんな感じでエロシーン自体が面白くなくても前提としてエロがあることは重要なんですが、それとは別にエロシーン単体ももうちょっと魅力的に表現してくれるゲームが増えるとモアベターなんだけどなあ。まあエロエロ中心のゲームをほとんどやってないんだから、しょうがないのかもしれないですけど。

それにしても今日の日記は下品だな、一体何回「エロ」って単語使ってるんだろ。見てる人が盛大に引く姿が目に浮かぶ(笑)。

パルフェ~ショコラ second brew~ Re-order

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つよきす

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エーデルワイス 通常版

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*1:パルフェ」だと里香子シナリオ入った瞬間これを待ってたんだ! とか思ったりするけど、特にああいうシナリオじゃなくても満足してたと思うしね。